葬式仏教が危ない

以前、中外日報の見出しに、「"葬式仏教"に徹せよ」とあったのを思い出す。

だからこそ、「葬式仏教でもいいじゃないか」という声さえある。

「葬式仏教」とは、大抵が「お布施」目当てだとさげすまれやすい。
中外は、それを"徹せよ"と見出しを打つのだから、いよいよなりふり構わずなのか。


しかし、どうやらその葬式仏教さえ危ない、という。


この記事を投稿した僧侶・板橋氏は、
「以前なら葬儀くらいは、僧侶主導で縁者と丁重に弔ったものだ……」と、ぼやいていた。


最近は、葬祭業者がすべてを仕切り、ホテルはおしゃれで料金体系の明瞭な葬儀を提供、また低価格の葬儀業者も現れ熾烈な競争を重ねるなど、僧侶の出る幕がないようだ。

さらには、多数寺院が葬祭業者へ葬儀紹介のリベートに、「お布施」の五割近くを渡していた事実が暴露され、不透明な金の流れが新聞で、糾弾されもしていた。


今や寺院は、葬儀の舞台からも退かざるをえないのだろうか。


「葬式だけは、不況知らずだったのに……」
これは、死活問題だけに、寺院関係者は手に汗握るのか。


「死人に群がる」と言われる葬式仏教。
「美しき日本」ならず、「美しき仏教」となる日が来るのであろうか。